ちりめん本——KOHANASAN(こはなさん)

42,000 

ボストウィッキ著

明治二十五(1892)年刊

1冊,19.5×17.1cm

長谷川武次郎版(日吉町),廣瀬安七刷

ちりめん装小唄楽譜,彩色木版。表紙にシミ・ヨレ・カスレ、など,全体的に相応の経年劣化,本体良好。

在庫1個

説明

「つのくにのうたひ女小花をよめるながうた」と表紙にあるとおり神戸三宮の芸者小花のことを歌にした楽譜付きのちりめん本である。

楽譜のページが終わると、6番まである歌の歌詞のページとなり、そのそれぞれに、歌詞に即した挿絵が入れられる。著者のF.M.Bostwickが歌の中でKohana sanと呼ぶ芸者が実在の人物がどうかはわからないが、小花さんの父が大名であっただとか、赤穂浪士四十七士の血筋であったと歌い、外国人好みの大名行列や四十七士の挿絵を入れているのがどこか作為めいて感じられる。

絵師の名はないが、その歌の内容に合わせて描かれた芸者たちの芸事や髪梳きの場の描写の美しさはすばらしいものがある。

ちりめん本と呼ばれる本がある。それは、幾度も揉んだり、伸ばしたりすることによって、縮緬布に似た質感を与えられた和紙であるちりめん紙の上に、欧文と挿絵を印刷した和綴じ本の通称である。手にとって一枚めくってみれば分かるその特殊な質感は平紙版の本には決してないものである。ちりめん本は明治期の日本で初めて作られ、その柔らかで重厚な感触とそれらに刷られたエキゾチックな日本画の美しさは、外国人に非常に好まれ、国内外にわたって広く頒布された。

そのちりめん本を最初に考案し、出版したのが、長谷川武次郎(1853-1938)である。長谷川武次郎は嘉永6年(1853)に日本橋の西宮家に生まれ、25歳から母方の長谷川姓を名乗るようになる。クリストファー・カロザースのミッションスクール(後の明治学院)やウィリアム・ホイットニー校長時代の銀座の商法講習所(後の一橋高商)に通ったことから、在日宣教師、知識人、外交官等との交友を広げ、国際的感覚を養った。明治17年(1884)に長谷川弘文社として出版活動を始め、明治18年(1885)からちりめん本の中でも最も有名なJapanese fairytale seriesの刊行を始める。これがちりめん本の流通の始まりである。当初ちりめん本は、「童蒙に洋語を習熟せしむるため」という絵入自由新聞での広告文にもあるように、日本国内の人々、特に子どもの語学教育のため、というのがその販売の第一義であったようだが、その意図からは外れて、外国人の日本滞在の土産物として重宝された。

ちりめん本として出版されているのは、長谷川弘文社だけでも確認されているだけで170種類以上のちりめん本が存在するという。公開に際して、長谷川弘文社からは、文は日本初の女性宣教師であるMary KidderのパートナーのEdward Rothesay Miller、絵は小林永濯が手がけた、約100ページからなるちりめん本でも屈指の大作であるPrincess Splendor(かぐや姫)と、The children’s JapanやThe months of Japanese ladiesといった日本風俗の紹介本5冊を取り上げた。また、長谷川弘文社刊以外のものとしては、絵ではなく写真が印刷されたIllustrations of Japanese lifeと日本人が英文と挿絵の両方を担当しているThe Soshi-Bushiを取り上げた。

しっとりとしたちりめん紙の風合いと、日本画の挿絵やその挿絵を囲む欧文とで形作られたちりめん本の醸しだす、邦文のそれとは違う、しかし、ノスタルジーには違いない懐かしい温かみを感じていただければ幸いである。

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