天保一分銀(珍しく刻印有)

売却済

鋳造期間:天保8年~安政元年(1837~1854)

品位:銀99.1%

量目:8.66g

説明

「是」字の第8画と9画が交叉している(交叉是)。「銀座常是」の是の文字が交差しいるのが天保、非交差が安政。桜刻印の返りも下3段にある天保に対し、安政は上3段にある。「定」の周りに珍しく「も」と「い」が刻印されているが、意味不明。恐らく鶴岡藩(庄内藩)のものかと推測。下記までご参照ください。

 

銀(1000分の)991だから、純銀といってよいほどの良質な銀貨。天保一分銀以前は定位貨幣一分金が担ってきたが、ここで初めて「金一分の価値を持つ銀」として天保一分銀が登場した。裏面の「銀座」は、江戸期に今の銀座で銀貨がつくられていたことを表す。

一分銀は、江戸時代末期に流通した銀貨の一種。保字金(天保金)の発行後間もなく、一分の額面をもつ計数銀貨が保字銀(天保銀)と同日の天保8年11月7日(1837年12月4日)から鋳造が始まり、同12月18日(1838年1月13日)から通用開始された。これが天保一分銀(てんぽういちぶぎん)であり、古一分銀(こいちぶぎん)とも呼ばれる。

形状は長方形で、表面には「一分銀」、裏面には「定 銀座 常是」と刻印されている。額面は1分。その貨幣価値は、金貨である一分金と等価とされ、したがって1/4両に相当し、また4朱に相当した。

表面に「一分銀」と表記し、周囲の額に桜花を20個配置。裏面の「是」字の八画および九画が交差した交叉是のもので、側面の仕上げが滑らかで桜の花弁が打たれているものが天保一分銀である事が多いが、厳密には周囲の桜花の逆打ちのものの位置から判断することが定着している。

また、表面に「庄」の極印が打たれたものが存在し、慶應4年5月20日(1868年7月9日)から同年6月15日(8月3日)までの期間に鶴岡藩(庄内藩)において、良質の天保一分銀を他領から流入する銀質の劣る安政一分銀と区別し増歩通用させるために、鶴岡および酒田において極印を打ったものとされ、庄内一分銀(しょうないいちぶぎん)と呼ばれる。打印数は酒田において30万両(推定)、鶴岡において13万両とされ、裏面の桜花額縁の右下側にY極印を打ったものが酒田製、左下側のものが鶴岡製と推定されている。

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